仕事が進まない・・・そんな時は
クラシックを聴きながら♬読書📚

当たり前の事ですが、忘れてしまいがちな、とても大事な事。

ヘレンケラーのエッセー「目の見える3日間」
ーハーバードの人生を変える授業より抜粋

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地球の美しさや、神秘の中に生きる人は、
孤独を感じたり、人生に疲れたりすることはない。
          ―生物学者・レイチェル・カールソン

人生のすばらしさを味わいつくす

心理学の研究によって、幸福感の40%は「選択」によって決まると明らかにされています。

 自分達を取り巻く世界の何を見るかは、かなりの部分まで選択にかかっています。私達は日々時間をかけて、目にするものの中に、美しさ、ユーモア、魅力、神秘をみつけようとしているでしょうか。
 バスに乗って仕事に向かうとき、ただぼんやりと窓の外を眺めているだけでしょうか。それとも、空の色や雲の形に意識を向けているでしょうか。
 小さな犬が歩道を走っている様子を見て、そのおかしな走り方をほほえましょうと思ったりしますか。お年寄りの女性が玄関からゆっくりと出てくるのを見て、思いやりの気持ちや敬意、心の痛みを感じますか。
 考え事に没頭したり、用事をしているときに周りのものに気がいかなくなってしまったりするのは、ごく自然なことです。ときには頭を休めてぼうっとするのも悪くはありません。しかし、何かをしているときに、そのことにしっかりと意識を向けることで、私たちはより健康で幸せになれます。

「マインドフル」に生きることを私たちは選択することができます。「マインドフル」とは感性を研ぎ澄まし、自分の感じている事をしっかりと味わうこと。
 食事をしているとき、皿洗いをしているとき、レポートを書いている時、車まで歩いているとき、私たちはぼんやりと何も考えずに行動しています。
 そんなときに、このマインドフルな感覚を思い出し、私達を取り巻く世界のすばらしさに意識を向けてみましょう。

五感を研ぎ澄ませる

マインドフルになるために私が一番お勧めしたいことは、ヘレンケラーのエッセー「目の見える3日間」を何度も読む事です。

 1歳7か月のときに病が原因で視力を聴力を失ったヘレンは、もしも3日間、目が見えて耳も聞こえたら何をするだろうか、ということについて書いています。
 このエッセーの中でヘレンは、森の中を1時間散歩してきた友人との会話を回想しています。そのときヘレンは友人に森の中にどんなものがあったかと尋ねました。すると友人は「別に何も」と答えたのです。ヘレンは森の中を歩いてきて「別に何も」ないなんてことがどうして言えるのだろうと思いました。

 ”目の見えない私から、目の見えるみなさんにお願いがあります。明日、突然目が見えなくなってしまったかのように、すべてのものを見てください。明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように、人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。明日、触覚がなくなってしまったかのように、あらゆるものに触ってみてください。明日、嗅覚と味覚を失うかのように、花の香をかぎ、食べ物を一口ずつ味わってください。五感を最大限に使ってください。世界があなたに与えてくれている喜びと美しさを讃えましょう。”

 私達に必要な事は、ときおり五感を研ぎ澄ませて、世界のすばらしさを感じ取ることだけです。

視覚と聴覚のないヘレンケラーは私達がどれほど恵まれているのかを気づかせてくれます。私達の周りや私たちの内側にある大切な宝物を、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚という自らの五感を使って、私たちは直接味わうことができるのです。

”自然の理法に対して、本来の正しさに対して、素直であること 自分の感情に捉われたり、立場に捉われたり、地位や名誉に捉われず、なすべきことをしっかりとやる”

もともと人間には、進歩発展する本質、平和、繁栄、幸福を実現する力が与えられている。 素直な心というのは、他人の言うことに、なんでもハイハイと答えるということではなく、本当の素直は、 お日さんはきちっと東から出る。そして西に沈む。春が来て、夏が来て、秋が来て、そして冬が来る。人間のやるべきこと、なすべきことをしっかりとやれるかどうか。逆になすべからざることは絶対にやらんこと。

天地自然のなかに繁栄の原理がある。 人間の本質はどういうものか。人間の幸せとはなにか。宇宙の本質はなにか。宇宙根源に対する感謝表明し、人間としての重さを自覚することが大事。

自分が利を得るために、不必要に自分の膝を屈することは決してすまい。
なぜなら、そうして得られた応援や協力は、
目に見えないしがらみを生み、道を暗くするからである。

足るを知る者は富む・・・


自分は自分である。
何億の人間がいても自分は自分である。
そこに自分の自信があり、誇りがある。


何事もゆきづまれば、
まず、自分のものの見方を変えることである。
案外、人は無意識の中にも
一つの見方に執して、
他の見方のあることを忘れがちである。


迷う、ということは、
一種の欲望からきているように思う。
ああもなりたい、こうもなりたい、
こういうふうに出世したい、
という欲望から迷いがでてくる。
それを捨て去れば問題はなくなる。

 
人には燃えることが重要だ。
燃えるためには薪が必要である。
薪は悩みである。
悩みが人を成長させる。

精力善用、自他共栄

幼い頃からの母の教えや父の行動哲学を通して受け継いだ「心身の持つすべての力を最大限に生かして、社会のために善い方向に用いる」という「精力善用」の精神と、柔道の修行を通して体得した「相手に対し敬い、感謝することで、信頼し合い、助け合う心を育み、自分だけでなく他人と共に栄えある世の中にしようとする」という「自他共栄」の二つの規範は、生涯を通して治五郎の進むべき道を示し続けた。
治五郎は、柔道の道を究め強くなり、地位や名誉を得たあとも、決して驕ることなく、学問においても柔道においても人より研鑽を積み、常に向上心を持ち続け、更なる目標を作り自らが世の中の役に立つことを常に考えた。ここに、「精力善用」「自他共栄」の精神は、世界の平和に繋がるという信念にまで高められたと言える。
多くの若者に影響を与えていた治五郎は、修行で培った力は、相手をねじ伏せたり、威圧したりするために使うのではなく、世の中を良い方向に動かすために使わなければならないと弟子達にも伝えた。また、講道館柔道が世界の柔道へと発展していった背景には、治五郎が、自らの技を磨くだけでなく優れた後輩を育てるために国籍や人種に囚われず公平に指導したということが大きい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E7%B4%8D%E6%B2%BB%E4%BA%94%E9%83%8E


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