最近、渋谷を歩いているとレッドブルのクリエイティブな広告を目にしますが、CEOのディートリッヒ・マテシッツ氏は、「マーケティングがすべてだ。」と明言し、次のように述べています。

「今後は、主要製品と関連のない企業の買収と製品ラインの拡大に努めます。私たちはマーケティングのプロです。潜在能力があるにもかかわず、これまで日の目を見ることのなかったブランドを眠りから覚ましてやりたいのです。私たちの強みは問題解決能力です。すでに確立しているものの管理ではありません。」


実際、マテシッツさんが1987年にレッドブルを創業した時の資料には、「レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ。」と書かれており、何十年という時間を費やしてそれを実現させました。

多国籍企業ユニリーバのエリート社員だったマテシッツさんは、誰もが羨むような高額な給料を受けとっていましたが、最初はブランド構築やヨーロッパ人好みのテイストを作るのに苦労し、創業して数年で個人資産の5000万円は早くも底をつく寸前だったそうです。


レッドブルは売上の30%をブランド構築に費やすと決めており、現在のマーケティング予算は600億円を超えています。(コカコーラは売上げの9%)

実際、レッドブルの会社登記簿には業務内容として、「レッドブルブランドの活用」としか記されていないため、商品の機能や利点については一切語らず、イメージ、価値、イデオロギーを心に訴えかけ続けることを真の目的としています。

「こんな小さい缶で、のどの渇きをいやせると思うな。翼を手に入れるためにレッドブルを飲め。」

「あなたが選ばれた人間ならこの車に乗れ。」


このようなアプローチは「精神的付加価値」と呼ばれ、かつて人々が教会で感じていたような精神的充足感の代行となっており、レッドブルは消費主義という名の新しい宗教における”聖水”の働きをしているのかもしれません。

さらに、飛び抜けたブランドは表上のイメージだけで作られているわけではなく、グループ全体が見えない感情で繋がっています。

創業間もない頃、製造契約を結ぶことになったラウフ社に対し、契約書なんていらないと握手一つで製造を取り決めたり、海外から仕入れれば、遥かに安く手に入る砂糖も品質にこだわり、すべてヨーロッパの農家から仕入れています。

「私たちはお互いに絶対的な忠誠を誓っています。」(レッドブルCEO)



「バカの壁」の著者、養老孟司さんも昔は本を書く時、出版社との契約は口約束で済んだのに、今ではもの凄い量の契約書を交わさなければならなくなったと述べていました。

「契約書なんて交わさなくても、なにか問題が起きて、どうしても解決できないときにだけ、弁護士が出てくるくらいでいいのです。日本人がお互いに信頼していた時代には不信から生じるコストが低かった。そのことは案外、見過ごされやすいのだけれども、日本の成功の要因だったのではないかな、という気がします。」



信頼のレッドブル・ブランドはもう世界中のセレブの間でも御用達です。

1980年代、セレブがレッドブルを持って歩いている姿を写真に収めるためには、それなりの対価を払う必要がありましたが、現在では数多くの俳優やポップスターがレッドブルを片手に写真を撮り、SNS上でアップロードしているため、ブランドは自然と世界中に広がっていくのではないでしょうか。

ブリトニー・スピアーズにいたっては、ペプシ・コーラの広告契約に関する記者会見の席でレッドブルをちびちび飲んでいる姿がメディアに取り上げられていました。


実際、これまで140を超える競合企業が、似たような製品や名称で闘いを挑んできましたが、レッドブルは今も全世界のエナジードリンク市場の70%を占めています。

恐らくこれからの時代は、レッドブルやヴァージン・グループのように徹底的にマーケティングにこだわる企業か、グーグルやパタゴニアのように徹底的にプロダクトにこだわる企業しか生き残れないのかもしれません。(アップルのようにプロダクトもマーケティングも完璧な企業も稀にありますが。)

マーケティングと広告の意味を理解していない企業は俳優一人に億単位のお金を支払いますが、マーケティングのプロであるレッドブルはマイナーな人たちを活用することで、自分たちの価値観を世の中に伝えていきます。


最近はレッドブルのクリエイティブな広告がよく出ているので渋谷の街が色づいています。

汚い短期決戦の広告を街にバラまくのではなく、長期的な市場を創りだそうとする広告が街に増えれば、草木を植えるように街が色づくのではないでしょうか。

「今すぐ電話」や「○○で検索」ではなく、目に見えない価値観を伝える時代になりました。