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”ビジネス、人生に生きる情報メモ帳” 海外在住。会社経営。17歳留学、帰国後復学そして日本企業に就職アジア各国周り、北米コンサルを経て起業。不動産・ビジネス・経済・哲学・心理学・脳科学・建築・地球環境・教育・歴史に興味あり。人生のメモ帳、戒め帳として綴っています。誤字脱字、中途半端な解説あり。

カテゴリ: マーケティング戦略

一村一品:
東京ばな奈、福岡赤福、崎陽軒焼売等、白い恋人、神戸プリン。アルゼンチンの民族舞踊は音楽性が優れている為世界中の人が楽しむ。ローカルにしてグローバル。
真にローカルなものこそインターナショナル。グローバルに考えローカルに行動する。
先ずは同一商圏内で市場の独占率を上げるドミナント戦略。

ランチェスター戦略:
弱者の戦略=量より質 1つの商品に集中 地域集中 顧客の絞り込み 差別化戦略
強者の戦略=質より量 多種多様な商品展開 全国展開 複数顧客の属性カバー ミート戦略(他社の炊事品やサービスを真似る)

項目弱者の法則強者の法則
商品1商品に集中多種多様な商品の展開
展開範囲地域限定(局所限定)全国・グローバル展開
ターゲット顧客属性の絞込み複数の顧客属性をカバー
選択したい市場ニッチ市場経済規模の大きな市場
採用したい販売戦略差別化戦略ミート戦略
営業戦略チラシ配り・テレアポ・訪問営業テレビCMや新聞・雑誌媒体への広告出稿、SNSの活用
選択したい人事戦略社員教育の充実企業買収や人材の積極採用


マーケットシェア理論のシンボル目標数値は7つに分けられ、目指すべき目標値によって、採用するランチェスター戦略が変わります。それぞれの目標値と意味は以下の通りです。

項目シェア率の
目標値
目標値の意味
上限目標値73.9%市場における一社独占を意味します。
安定目標値41.7%市場における圧倒的な競争優位性を確立し、首位独走の
条件とされているため、多くの企業が目指す目標値です。
下限目標値26.1%ランチェスターの法則における強者の最低条件として
知られています。
上位目標値19.3%ここから下はランチェスターの法則における「弱者」と
定義されるため、「弱者の法則」に則った戦略を打ち出す
ことで、シェア拡大を図ります。

上位目標値は弱者グループの中における強者として
位置付けられます。
影響目標値10.9%市場全体に影響を与える目標値であり、シェア争いに
本格的に参入する目標値とされています。そのため、
新規参入を目指す企業においては、この影響目標値を
目標値に設定することとなります。
存在目標値6.8%競合他社に存在を認められるシェア率ですが、同時に
市場への影響力が少ないため、市場からの撤退を検討する
基準として位置付けられています。
拠点目標値2.8%市場参入戦略を適用すべき目安であり、拠点目標値を
上回った場合は競争戦略に転換しなければいけません。
Biz hintより

一村一品:
 
1979年に当時の大分県知事である平松守彦により提唱され、各市町村がそれぞれ1つの特産品を育てることにより、地域の活性化を図った。
運動の原点となったのは旧・大山町(現・日田市大山町)が1961年から行っていたNPC運動(New Plum and Chestnut運動) である。旧・大山町の地勢が稲作に適しない山間部であることを逆に生かし、『梅栗植えてハワイに行こう』というキャッチフレーズの下、収益率が高く、農作業が比較的楽な農作物を生産、果物を出荷するほか、付加価値が高い梅干しなどに加工して出荷を行うという運動である。これが成功したことに平松大分県知事が着眼し、大分県全体に広げたのが一村一品運動である。[1]

「ローカルにしてグローバル」という標語のもと、全国・世界に通じる物を作る、という目標を掲げ、自主的な取り組みを尊重し、行政は技術支援やマーケティング等の側面支援に徹することにより、自主的に特産品を育てることができる人や地域を育てる「人づくり」「地域づくり」を行おうとした。また、付加価値の高い特産品を生産することによって、農林水産業の収益構造の改善を目指した。

一村一品運動は、大分県内に、シイタケ、カボス、ハウスミカン、豊後牛、関あじ、関さば、大分麦焼酎など、日本全国に通用するブランドを生み出した。現在では、特産品の品目は336にのぼり(うち、年間販売額が1億円以上の産品131品目)で、生産額は総額で1,400億円に達している。

この運動は、日本国内の他の地域や、国際協力機構の青年海外協力隊などを通じて、中華人民共和国・タイ王国・ベトナム・カンボジアのような海外にも広がりを見せている。日本国政府も途上国協力の方策として、途上国における一村一品運動を支援している。特にタイでは、タクシン・チナワットが首相のときに一村一製品運動として政策を行なった。その他、大分県に近い熊本県の小国町・南小国町などでも、独自にこれに近い運動を行って成果をあげている。

最近、渋谷を歩いているとレッドブルのクリエイティブな広告を目にしますが、CEOのディートリッヒ・マテシッツ氏は、「マーケティングがすべてだ。」と明言し、次のように述べています。

「今後は、主要製品と関連のない企業の買収と製品ラインの拡大に努めます。私たちはマーケティングのプロです。潜在能力があるにもかかわず、これまで日の目を見ることのなかったブランドを眠りから覚ましてやりたいのです。私たちの強みは問題解決能力です。すでに確立しているものの管理ではありません。」


実際、マテシッツさんが1987年にレッドブルを創業した時の資料には、「レッドブルのための市場は存在しない。我々がこれから創造するのだ。」と書かれており、何十年という時間を費やしてそれを実現させました。

多国籍企業ユニリーバのエリート社員だったマテシッツさんは、誰もが羨むような高額な給料を受けとっていましたが、最初はブランド構築やヨーロッパ人好みのテイストを作るのに苦労し、創業して数年で個人資産の5000万円は早くも底をつく寸前だったそうです。


レッドブルは売上の30%をブランド構築に費やすと決めており、現在のマーケティング予算は600億円を超えています。(コカコーラは売上げの9%)

実際、レッドブルの会社登記簿には業務内容として、「レッドブルブランドの活用」としか記されていないため、商品の機能や利点については一切語らず、イメージ、価値、イデオロギーを心に訴えかけ続けることを真の目的としています。

「こんな小さい缶で、のどの渇きをいやせると思うな。翼を手に入れるためにレッドブルを飲め。」

「あなたが選ばれた人間ならこの車に乗れ。」


このようなアプローチは「精神的付加価値」と呼ばれ、かつて人々が教会で感じていたような精神的充足感の代行となっており、レッドブルは消費主義という名の新しい宗教における”聖水”の働きをしているのかもしれません。

さらに、飛び抜けたブランドは表上のイメージだけで作られているわけではなく、グループ全体が見えない感情で繋がっています。

創業間もない頃、製造契約を結ぶことになったラウフ社に対し、契約書なんていらないと握手一つで製造を取り決めたり、海外から仕入れれば、遥かに安く手に入る砂糖も品質にこだわり、すべてヨーロッパの農家から仕入れています。

「私たちはお互いに絶対的な忠誠を誓っています。」(レッドブルCEO)



「バカの壁」の著者、養老孟司さんも昔は本を書く時、出版社との契約は口約束で済んだのに、今ではもの凄い量の契約書を交わさなければならなくなったと述べていました。

「契約書なんて交わさなくても、なにか問題が起きて、どうしても解決できないときにだけ、弁護士が出てくるくらいでいいのです。日本人がお互いに信頼していた時代には不信から生じるコストが低かった。そのことは案外、見過ごされやすいのだけれども、日本の成功の要因だったのではないかな、という気がします。」



信頼のレッドブル・ブランドはもう世界中のセレブの間でも御用達です。

1980年代、セレブがレッドブルを持って歩いている姿を写真に収めるためには、それなりの対価を払う必要がありましたが、現在では数多くの俳優やポップスターがレッドブルを片手に写真を撮り、SNS上でアップロードしているため、ブランドは自然と世界中に広がっていくのではないでしょうか。

ブリトニー・スピアーズにいたっては、ペプシ・コーラの広告契約に関する記者会見の席でレッドブルをちびちび飲んでいる姿がメディアに取り上げられていました。


実際、これまで140を超える競合企業が、似たような製品や名称で闘いを挑んできましたが、レッドブルは今も全世界のエナジードリンク市場の70%を占めています。

恐らくこれからの時代は、レッドブルやヴァージン・グループのように徹底的にマーケティングにこだわる企業か、グーグルやパタゴニアのように徹底的にプロダクトにこだわる企業しか生き残れないのかもしれません。(アップルのようにプロダクトもマーケティングも完璧な企業も稀にありますが。)

マーケティングと広告の意味を理解していない企業は俳優一人に億単位のお金を支払いますが、マーケティングのプロであるレッドブルはマイナーな人たちを活用することで、自分たちの価値観を世の中に伝えていきます。


最近はレッドブルのクリエイティブな広告がよく出ているので渋谷の街が色づいています。

汚い短期決戦の広告を街にバラまくのではなく、長期的な市場を創りだそうとする広告が街に増えれば、草木を植えるように街が色づくのではないでしょうか。

「今すぐ電話」や「○○で検索」ではなく、目に見えない価値観を伝える時代になりました。

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