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渋沢栄一

2019年06月13日

渋沢栄一 日本国近代資本主義の父

日本国 近代資本主義の父「渋沢栄一」1840-1931(91歳)
 
第一国立銀行、日本銀行のほか、東京銀行集会所、大阪銀行集会所、東京海上保険、日本郵船、日本鉄道、東京地下鉄道、東京石川島造船所、鐘淵紡績、札幌麦酒、東京瓦斯、大阪瓦斯、東京電燈、帝国ホテル、東洋紡績、日本製紙、王子製紙、太平洋セメント、清水建設、澁澤倉庫など、日本が世界の一流国の仲間入りをするために必要な企業の設立を支援。

大正5年1916年69歳引退その後は下記啓蒙活動を行い生涯日本国に尽くした。

金儲けを卑下することはないが、一方でモラルが大切だというのが彼の信念だ。“利は義に反する”というのが、幕府の御用学問とされた朱子学の教えである。それがゆえに江戸時代は“商いは下賤な業”とされたわけだが、彼は孔子が「民を富まして後に教えん」と説いていることに注目し、民衆を富ますことが君子の任務であり、「利は義に反しない」と主張した。

日本経済の急速な発展の陰で、精神面が等閑に付され始めていることに危機感を抱き始めていたからだ。道義的に正しい道を歩まねば一時的に富を築けたとしても永続性はない。〝論語と算盤〟という言葉は一見かけ離れたものを示すようだが、2つで1つなのだという彼の主張は〝道徳経済合一説〟と呼ばれ、自らその伝道者となっていく。

明治10年1877年
“択善会”という組織を立ち上げている。後の東京銀行集会所(現在の全国銀行協会)である。択善会の名前は論語述而第七に由来する。〈三人行えば必ずわが師あり〉という有名な言葉に続く、〈その善なるものを択んでこれに従い、その不善なるものはこれを改むる〉という一節から採った。いかにも論語通の渋沢らしいネーミングだ。

昭和6年(1931年)91歳死去
天寿を全うしてこの世を去った。享年91。死の3日前、おおぜい見舞客が来ていると聞いて、次のような言葉を残したという。
「長いあいだお世話になりました。私は100歳までも生きて働きたいと思っておりましたが、こんどというこんどは、もう起ち上がれそうもありません。これは病気が悪いので、私が悪いのではありません。死んだ後も私は皆さまのご事業やご健康をお守りするつもりでおりますので、どうか今後とも他人行儀にはしてくださらないようお願い申します」 (渋沢雅英著『太平洋にかける橋渋沢栄一の生涯』)


渋沢栄一1840-1931(91歳)生い立ちと業績
 
天保11年(1840年)埼玉生まれ。父・市郎右衛門は学問を好み、勤勉にして厳格。起業家精神に富み、養蚕と藍玉製造を通じて財をなし、名字帯刀を許される豪農となった。彼は息子の栄一にも、早いうちから藍の葉や藍玉の仕入れを手伝わせている。
最近の研究では、江戸幕府に“士農工商”という身分制度が敷かれていたというのは否定されつつあるようだが、右から左へ売買して利サ゛ヤを稼ぐ商行為は、農工業のような“ものづくり”よりも低く見られる傾向があったのは確かだ。その思想的背景には、商行為を〝下賤な業〟とする幕府の御用学問であった朱子学の影響があった。だが渋沢は、商売は決して〝下賤な業〟などではなく、学問同様奥深く、幅広い教養と豊かな人間力なくしては大成できないことを、身をもって体験していく。
母のエイは慈愛に満ちた心優しい女性であった。公衆浴場にハンセン病の患者が入場してきた時、他の入浴客が嫌がって逃げ出す中、彼女だけはいつに変わらぬ態度で接し、一緒に入浴していた、というような逸話も残されている。

いつの世も教育は家庭に始まる。渋沢栄一の人生と業績が、つまるところ父親の勤勉さと起業家精神、母親の高い倫理観と慈愛の心に集約されるのは、子女教育の観点からも深い示唆に富んでいる。白洲次郎の父母も同じく。

渋沢の青春は幕末の動乱期と重なる。文久元年(1861年)、21歳の時に江戸遊学を許され、儒学を当代随一の学者・海保漁村に学び、剣術を“千葉の小天狗”として知られた北辰一刀流・千葉栄次郎に学んだ。明治・大正期の指導的大実業家。一橋家に仕え、慶応3年(1867年)パリ万国博覧会(栄一27歳)に出席する徳川昭武に随行し、ヨーロッパの産業、制度を2年間見聞。明治2年(1869年)新政府に出仕し、明治4年(1871年)大蔵大丞となるが明治6年(1873年)退官して実業界に入る。第一国立銀行の総監役、頭取(栄一29歳)となったほか、王子製紙、東京瓦斯など多くの近代的企業の創立と発展に尽力した。昭和6年(1931年)没。



北康利
1960年名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。2008年6月末にみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。『白洲次郎 占領を背負った男』で山本七平賞を受賞。

北康利氏の著書『新装版 名銀行家列伝―社会を支えた“公器”の系譜』=きんざい、2017年4月25日刊=の中から一部を抜粋・編集



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2019年06月12日

白洲次郎2 ノブレスオブリージュ 教育は家庭に始まる

4年ぶりに白洲次郎を見ることに。

いつの世も教育は家庭に始まる。
前回のブログ「渋沢栄一」の人生と業績が、つまるところ父親の勤勉さと起業家精神、母親の高い倫理観と慈愛の心に集約されると同じように、白洲次郎の父母も次郎に多大な影響を与えている。傲慢で自分勝手な父親ではあったようだが、起業家精神、あの時代に次郎の英国留学を促す等、先見の明があったのだろう。そしてケンブリッジでの否定し再考する学問の教え。白洲次郎、渋沢栄一共に日本近代化の礎となった留学組の父母の教育も興味深い。

白洲次郎父
○どうせ人間はいつかは死ぬ、人間死んだら腐るだけや、思いっきり好きなことせんとしょうもないからなー
○俺はお前の傲慢さが嫌いじゃない、英国へ行け。お前の好きな英語がたくさん話せるぞ。

白洲次郎母 
○「あんたの看病日誌や、あんたは小さい頃ほんまに体が弱くてなーお医者さんが見放したこともあるんよー私はしょっちゅうここに来て、イエスさんにお願いした。何度も何度も死にかけて、それでも今こんなに元気に生きてる言うことは、神様がこの世界にあんたが必要やと思うたからや、あんたにしかで出来ん事が必ずある、負けたらあかんよ」


○ 白洲次郎は父に英国へ行けと言われ、英国へケンブリッジへ17で留学する。そこで教授に言われたこと。

教授「君たちが先週提出した論文について話したい。白洲君から始めよう、君の自己評価はどうかね?」
白洲「自信はあります。少なくても間違っていない。」
教授「白洲くん君の幻想をくじくわけではないが・・・私の意見では君の論文は評価するに値しない。私のアテンションや思慮するに値しない。文章やファンダメンタルは間違ってはいないが、私が教えたことを繰り返しているだけだ、他人の考えを鵜呑みにしてはいけない、まず否定する、そして再考することだ。私が求めるのは模範的な正解ではない、君たちのちっぽけな頭で考えぬいたことだ。それが学問というものだ。」
白洲「教授、僕はその言葉を誰かから聞きたかったのです。 」
教授「この授業が無駄にならなくて何よりだ」

白洲次郎のNHKのドラマが嘘ばかりだとあちこちで指摘されているが、確かにケンブリッジへ留学というより聴講生留学、ユダヤ商人のバックアップでどうこう・・まぁ今となっては何が本当かはわからないが素晴らしい思想に代わりははないわけで、こうありたいものです。

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2015年04月14日のブログより

 
白洲次郎 ノブレスオブリージュ noblesse oblige
 
「ノブレスオブリージュ noblesse oblige」“高貴なる者に課せられた義務” 

「持つ者は持たざる者に分け与える義務がある」

“正しい” という字は、 “一つのところに止まる” と書く。

人間死んだら腐るだけや、好きなようにせい!

他人の考えを鵜呑みにしてはならない。 まず否定する。そして再考することだ。

敵を作らん仕事は仕事ではない。

持てる者は、持たざる者へ与える義務がある。

高貴なる義務(ノブレス・オブリージュ)を背負っている。

俺はまだ自分の為すべき事を何もできていない。

いつか為すべき事を為す。

自由は人間の尊厳である。自由にはその分、責任が伴う。

誰が何と言おうと、僕の信念は変わりません。

戦争に負けて外交に勝った歴史がある。

我々の見据える着地点は一つ。 誇りある日本の再生。

従順ならざる唯一の日本人。

国を建て直すのに必要なのは、食い物、金、そして、プリンシプルだ。

あなたのプリンシプルは、傲慢ということですか?

“自分の原則” Principle


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