資本主義の終わりの始まり。10年国債の利子率が2%を下回ると、資本家が投資をしてオフィスや工場を作っても、資本家が満足できるリターンが得られない事を意味する。
英米では1970年代から利子率下落が始まり、利潤低下の穴埋めの為、金融工学やデジタル化によって資本主義の延命を行うが、結局バブル生成と崩壊を繰り返すだけであった。バブル生成過程で富が上位1%に集中し、バブル崩壊の過程で国家が公的資金を注入し、巨大金融機構が救済される一方、負担はバブル崩壊でリストラにあうなどの形で中間層に向けられ、貧困層に転落。
日本では1997年に始まった資本主義の終わりのはじまり。利子率低下は裏を返せば、設備投資をしても十分な利益を生まない、過剰設備になることを意味する。過剰債務の返済に必要なキャッシュフローを生み出すために、企業のリストラ加速、賃金低下、それが経済のデフレ化をもたらす。

今やグローバリゼーションで日本だけでなく世界中でゼロ金利、マイナス金利が行われている。もはや利潤をあげる空間のないところで無理やり利潤を追求する構造改革という名のリストラや中小企業再編のシワ寄せは、格差や貧困となり弱者に集中。実物経済の需要縮小している英米、日本では株価と不動産が上昇しただけで、石油、電気、食費を除く物価水準に目立った変化なし。つまりグローバリゼーションにより金融経済が全面化した1995年以降の世界では、マネーを増やしても国内物価の上昇に繋がっていない。量的緩和政策によりマネーを増やせば増やす程、物価ではなく資産価格の上昇、つまりバブルをもたらす。しかもグローバリゼーション時代では、このバブルは自国に起きるかどうかもわからない。
グローバリゼーションにより新興国が台頭している以上、新興国で消費されるものは新興国で生産するので、先進国が輸出主導で成長すると言う状況も難しい。
緩和を縮小すればバブルが崩壊するので、量的緩和に完全な出口はない。

もはや近代資本主義の中で次なる覇権は生まれず、次の覇権は資本主義とは異なるシステムを構築した国が握る。そしてその可能性を秘めているのは、いち早く近代のピークを過ぎた日本だが、成長戦略を行っている限りそれはない。

雇用なき経済成長でしか資本主義が維持できなくなった現在、経済成長を目的とする経済政策は英米を見てわかるように、格差社会を悪化させ暴動や分断を起こす。日本ではパソナの派遣等に見られる非正規を生み、貧困を生む。
貨幣を増加させても、資産バブルを生むのみ。
また積極的な財政出動を行っても、経済が需要の飽和点に達している今、過剰設備を維持する為に固定資本消耗を一層膨らまし、内需拡大どころか賃金を圧迫し、雇用なき経済成長の元凶となる。

つまり、過剰な金融緩和と財政出動によって成長を追い求めると、バブル崩壊と過剰設備により国民の賃金は更に削減され、中間所得層が貧困層へ落ち失業者が増える。
日米英仏独の先進国は「より早く、遠くへ、合理的に」を行動原理とした近代資本主義とは異なるシステムを構築しなければならない。

さて次なるシステムだが、グローバリゼーションではなくローカライゼーション。
先ずは税によるベーシックインカムに移行し、AIやロボット化が出来る仕事を自動化する、人間はお金になるならないかは問わず、社会に有益な仕事を行う。やがて税収が減るので、地域通貨に移行し、

地域内の農産物やサービス利用時に交換、最低限の生活が可能となる。
そう簡単には行かないが、マネーのベロシティが加速、フロンティアと言われるアジアとアフリカが数年で飽和し崩壊するのは時間の問題。資本主義の終わりが近づいている今、次なるシステム構築を模索